太宰治の乱れた女性遍歴と死の真相とは? なぜ愛人を道連れにして死を望んだのか?
日本史あやしい話
■数度にわたる自殺未遂と最後の死
太宰にとって最初の事件が、1929年12月10日に起きた。二学期の期末試験を控えたとある晩のこと、単身、睡眠薬のカルモチンを大量に摂取して昏睡状態に陥ってしまったのだ。この時は、「神経衰弱による睡眠薬の飲み過ぎ」として処理されたようであるが、プロレタリア文学に傾倒しながらも、自らは大地主というブルジョア階級出身という板挟みに苦しんだ…というのが一般的な見方のようだ。
ともあれ、命にも別状はなく、事なきを得て、翌年には東京帝国大学文学部への入学を果たしている。この頃、彼は前述の小山初代との結婚を望んでいたようで有るが、兄の文治が猛反対。それでも、分家除籍を条件に結婚を承諾されたというから、太宰の望みは一応叶った。喜ぶべきであるが、彼に平穏な生活はやってこなかった。女好きの太宰が、翌年には早くも銀座のカフェに入り浸り。そこで働く田部シメ子に太宰が首ったけになったからである。そして、またもや事件。鎌倉の七里ヶ浜において、二人でカルモチンを大量に摂取した後入水。女性だけが死亡してしまったのである。この時の様子を描いたのが、前述した彼の著作『人間失格』であった。
もちろん、すでに結納をも済ませていた小山初代が激怒したことはいうまでもない。それにもかかわらず、5年後の1935年末には、形ばかりとはいえ結婚式をあげているから、何とも謎めいている。しかし、結婚しても、結局、彼の自殺願望は止まる気配がなかった。1935年3月16日、今度は単身で、鎌倉山中で首吊り自殺を図ったのだ。ただし、この時も、結局死ぬことはできなかった。「死ぬつもりなど本当はなかった」と言われるようになったのも、この頃からである。
さらに新設の芥川賞にノミネートされるも落選。翌年も、翌々年も落選とあって、太宰の憔悴した姿に、妻・初代も見かねたようで、跡見役の井伏鱒二の協力を得て、東京武蔵野病院(精神病院)に入院させた。しかし、これが太宰の自尊心を傷つけたようで、夫婦仲が悪化。さらに初代が太宰の義弟と不貞行為を働いたこともあって、またもや事件を起こすことに。夫婦による心中騒動が巻き起こってしまったのだ。
1937年3月、初代と谷川温泉で心中。睡眠薬を飲んで意識がなくなった後、自然に体が斜面から滑り落ちて、首に巻きつけていた紐が首を締めるという手はずであったが失敗。その方法があまりにもお粗末だったところから偽装心中も疑われ、またもや「太宰は死ぬつもりなどなかった」と言われたのである。ともあれ、1937年6月には離婚が成立。2年後1939年1月には、井伏鱒二の働きかけによって、高等女学校の教師であった石原美知子と結婚しているから、太宰はつくづく、女と縁が途切れることがなかった。三鷹村下連雀において、子にも恵まれ、しばし幸せな日々を過ごしていたようである。
ところが、太宰の女癖の悪さは、結局、治ることがなかった。1941年、太宰の小説の愛読者であった太田静子と出会ったことが間違いの元であった。1947年2月に太宰と男女関係に。挙句、子まで生まれてしまったからである。さらに、1947年3月には、三鷹の屋台で、美容師の山崎富栄と出会って愛人に。もはや救いようのないほど、女にだらしない男であった。
そして最後に、重大事件を起す。1948年6月13日のことであった。この頃までには太宰の結核の症状も重くなり、連日のように吐血を繰り返す始末。文壇に大きな影響力を持つ志賀直哉と対立し始めたのもこの頃のことで、恩人でもあった井伏鱒二とも不穏な仲に。さらには、税金の滞納問題や、病気を抱える長男のことも心配であった。それでも、どうしようもないほど追い詰められた太宰を検診的に見守る山崎富栄。彼女の一途な愛にほだされたものか、とうとう本当にこの世に見切りをつけ、富栄と共に、雨で増水する玉川上水へと入水してしまったのだ。この時ばかりは、太宰は死から逃れることはできなかった。彼が今回も生き返ることを想定していたかどうかわからないが、本当に生きる気力を失ってしまったのだろう。本当は「生きたい…」と思っているにも関わらず、表面的には「死にたがり屋」を演じ続けた太宰治。それが最後に、本当に死んでしまった…というのが実情だったのではないだろうか。
後のことであるが、彼の病状を人に見捨てられることを極度に恐れるため常に不安に駆られるという「境界性パーソナリティ障害」だったとの見解が出されたこともあるが、それだけでは、彼の死への行動は説明しきれそうもない。
作家として自らの死を傍観し続けてきた太宰治も、最後の最後には、本当に死んで、自らを作家として振り返ることができなかった。あの世でその姿を見つめながら、新たな作品を書き上げてくれれば良いが…と、そんな風に期待してしまうのだ。

太宰治/「近代日本人の肖像」:国立国会図書館より
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